日本サッカーワールドカップの歴史
日本のサッカーの歴史は他の強豪国に比べて長くはありませんが、最近では海外のリーグでプレイすることも普通になり、ワールドカップに出場することも当たり前になりました。そんなサッカーの日本代表の歴史と主張選手を振り返って見ましょう。
ドーハの悲劇
日本のサッカーワールドカップを語る上でとても重要な出来事です。日本サッカー協会はサッカーのプロリーグを1991年に設立しました。そして92年には日本代表監督初の外国人であるオフト監督を任命、ワールドカップ出場に向けて始動します。
最終予選で1位を勝ち取りワールドカップ出場がほぼ確定されていた日本でしたが、イラクとの試合の公判で同点に追いつかれ、得失点差で3位となり初のワールドカップ出場を逃してしまいました。当時のメンバーはJリーグ開幕からの全盛期を支えた、市川、三浦知良(カズ)、北澤豪です。彼らを含めた代表メンバー、日本国民が落胆する出来事でした。
ジョホールバルの歓喜 – ワールドカップ初出場
前回のドーハの悲劇から4年後、日本はワールドカップ出場をかけて再度イランと対戦し、勝利を収めることでワールドカップ初出場を決めました。この時のメンバーは前回の「ドーハの悲劇」を経験した三浦知良(カズ)などの旧メンバーと、後にセリアAでも活躍する中田英寿を含む若い世代が混じっており、いまでも日本代表史上でベストメンバーの一つと言われています。
決勝トーナメント進出
それからの日本代表は予選突破は当たり前という時代に突入します。2002年、2010年には結腸トーナメントに進出しました。ここで鍵になったメンバーは中田英寿などワールドユースで世界を経験している選手たちです。
このころから優秀な選手はJリーグを飛び出して、イタリア、ドイツ、ロシアなど海外のリーグで活躍するようになりました。フィジカル面では欧米の選手に勝てないと言われますが、日本選手はボールのパス回しなどテクニック面で秀でており、パス回しが主流のイタリアセリエAなどのリーグで活躍できるようになりました。
2022年カタールワールドカップ
2018年のロシア大会もついこの前のようですが、すでに2022年に向けて日本代表は予選に参加しています。代表の監督問題で騒然とした時期もありましたが、現在は日本人の代表監督のもとでチーム一丸となって戦っています。抽選にも恵まれており今回も気を引き締めてまずは予選突破、そして海外のクラブでプレイするメンバーとのコンビネーションを強化することで、決勝トーナメントを目指します。
いっしょに予選から日本代表を応援しましょう!